12月23日、現代俳句協会青年部主催の『戦後俳句を聞く ~坪内稔典と片言の力』と題する講演会に参加しました。実際には、主催者が坪内稔典さんに質問し、それに稔典さんが答えるというインタビュー形式で進められたので、厳密には講演とは言えないかもしれませんが、とても興味深い内容で2時間半があっという間に過ぎていきました。その中で心に残ったことや感銘を受けたことを簡単に箇条書きしてみたいと思います。
- 坪内さんは、小学校3年生の時に詩と出会い、わけもわからずに、歌集などを声を出して読んでいた。
- 詩を声に出して読んでいるうちに詩というものがおもしろくなってきた。俳句にはまったく興味がなかった。
- 大学生になり、俳句を始めた。俳句に興味があったわけでなく、ただ単にだれもやっていなかったから。へそ曲がりなので、単にだれもやっていないことをやりたいと思っただけ。
- 自分の俳句を小学3年生の前で読むとみな笑ってくれる。自分の俳句を小学3年生が笑ってくれることが自分の自慢である。片言が小学3年生に通じることは快感である。
- 取り合わせではほんの少しずらすことが重要。
- 片言を意識することが重要。片言には可能性がある。
- 結社はいい読み手を育てる場である。
- 船団は結社ではない。
- 今の俳句には片言が欠乏している。片言にはどこかひっかかかるところがある。そのひっかかるところが重要。
- 日常のことばから少しずれることが重要。そのためにいろいろなことをやる。句会も、吟行もそのひとつ。
- 日常と違う世界のことばと出会うことが重要。そういうことばとの出会いが大切。
- 生活を楽しむ俳句、そして片言を補ってくれる読者。
- 連作を意識して作句することが大事。連作で何句か作っているうちにいい句ができることがある。その句ができるまでに作った何句かは捨て石にしてもいい。いい句に出会うための捨て石だと考えればよい。
- もうろく俳句のすすめ。意識がしっかりしているときよりも、少し意識が不確かになってもうろくし始めたときにおもしろい句ができる。酒を飲んだりして、そういうもうろく状態を意図的に作り出すこともよいかもしれない。加藤楸邨の晩年の句「天の川わたるお多福豆一列」はもうろく俳句の極み。こういうのがとてもおもしろい。
稔典さんがおっしゃる「片言」ということばの意味が100%理解できていないのですが、たぶん、完成されたきれいなことばから少しずれた、ちょっと拙さがあるような表現ということではないかと、自分なりに解釈しました。
坪内先生が推奨されるもうろく俳句というものにとても興味が湧きました。先生の著作もあるみたいなので読んでみようと思います。
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